助さん・格さんのドライバー日記
2002年1月17日 格さんのひとり言  日光例弊使街道拾い歩き
 群馬県高崎市倉賀野町で中山道とわかれ、同県南部を東進して栃木県に入り、大平山南方で左折、北上し日光に至る。

 例幣使街道と呼ばれている道路がある。現在の国道354号である。江戸時代、日光東照宮の四月例大祭に、毎年朝廷から派遣される秦幣使が通ったのでこの名が付いたそうですが、明治維新前年の慶応三年まで二百二十一年間、休むことなくこの秦幣行事は続けられたそうです。

 例弊使は毎年四月一日に京都を出立し、中山道を下ってきて、倉賀野から例弊使街道に入り、日光到着は四月十五日と決まっていたそうです。この日程は余ほどことがないかぎり変更されることはなく、半で押したように毎春繰り返されていたそうです。わずか十五日で京都から日光まで歩くとは現代人の常識では考えられません。

 例弊使街道なる道に興味が湧き出し、いろいろ調べてみると、この街道は、いわば例弊使の専用道路で、他の大名行列が通ることなどまずなかったようで、そのため沿道の宿場や村民は行列ずれしておらず、例弊使の一行による強請などがあったと残っております。

 参考までに触れると、例弊使街道というと倉賀野から日光までと考えられやすいが、正確には、倉賀野の次の玉村が最初の宿で、そのあと五科、芝、木崎、大田、八木、梁田、天明、犬伏、富田、栃木、合戦場、金崎までの十三宿、二十三里であるらしい。金崎宿以北は壬生街道になる。

 現在の例弊使街道(国道354号)は残念ながらダンプカー街道になっておりアスファルトの上を忙しく大型車両が疾走する道になっていて、昔を偲ばせる風情はほとんど残っていませんでした。

 ただ、倉賀野と中山道の分岐点には道しるべと常夜灯が立っていて、わずかに当時の痕跡が伝わってきます。
道しるべは、高さ172センチの石造りで西に向いた石の表面に、従是 右 江戸街道 左 日光街道と彫られており、裏面には南無阿弥陀仏と刻まれておりました。

 この常夜灯は、上野国那波郡五科村の高橋光賢という人が、若い頃の放蕩無頼の償いに建立を思い立ち自分の全財産を投げ出し、不足分を多くの人々に寄進してもらって立てたと聞きました。

 例弊使街道(国道354号)に入って玉村宿に向かい東進すると、左背後に榛名山、左手に赤城山の雄大な裾野が視界に入ってきます。しかし沿道は日本原子力研究所の広大な敷地を囲っているネットフェンスが延々とつづいていて実に味気のない風景でした。

 わずかに救われたのは、関越自動車道の西方500メートルのところに例弊使街道らしい面影を発見いたしました。場所は高崎市八幡原地区、市の東端です。

 わずか150メートルほどの旧街道ですが道標が立っていました。
道端には陽だまりの雑草がわずかに芽をのぞかせて、例弊使街道がすでに遠い過去のものになりつつあることを実感しました。

 今年は中山道400周年の年です。街道(歴史の道)に興味のある方、是非一度アクセスして下さい。
http://www.yumekaido.ne.jp/

 出来れば、一緒に京都は三条大橋から日本橋までゆっくりと歩いてみませんか!きっと素晴らしい歴史の旅に出会えるかと思います。

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